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LGBTQによせて | 福島みずほ公式サイト(社民党 参議院議員 比例区)

わたしは自由である。
あなたは自由である。
わたしたちは自由な存在である。
あなたたちは自由な存在である。

東京レインボーパレードは、早い時期から参加をしている。とても楽しみ。カラフルで、みんなとても自由な格好をしていて、おめかししている人もいる。派手とか地味とか関係ない。化粧もするしないも含めて全く自由。
こうしたいからこうする。

とてつもなく自由を感じ、とてつもなく楽しい。
一人ひとりが、自由な存在であり、一人ひとりが輝いている。
そう、魂は自由なんだよ。

だからとても楽しい。こうすべきとか、他者の値踏みなんかいらない。

19歳の頃、魔女コンサートに行った。駒尺喜美さんがパートナーの女性と話をしていたと思う。中山千夏さんが主催で、中山ラビさんなどが歌っていて、自由で楽しい催し物だった。

どう生きていくのか。
わたしが高校生の時、新聞記事に家庭科男女共修のことが掲載をされていた。そうだよねと思いながら読んだ。
メキシコの世界女性会議に行くことはできなかったが、婦人公論の記事などを食い入るように読んだっけ。
結婚しても名前を変えたくない、段々そう思うようになった。
わたしの考え方は、当時一般的ではなかった。
弁護士になって、自分が自由で、そして、法制度上の差別、とりわけ子どもや女性の差別を無くしていきたいと思うようになった。

司法修習生の時に子どもを生むことを選択。結婚届を出すかどうかがまさに自分の問題となった。
どちらかかが名前を変えることはどちらも望まない。しかし、結婚届を出さずに子どもを生むことも正直怖かった。自分が未婚の母として後ろ指を刺されたらどうしよう、子どもが将来、様々な差別にあったらどうしよう、そして、それがわたしへの批判となって跳ね返ってきたらどうしよう。
人と違うことをするのが怖いのである。
まだ見ぬ世間が怖い。

鏡を見ると不安そうなわたしの顔が映る。
でもこう思う。世界中の人を騙すことはできても自分を騙すことはできない。
自分にとって納得できないことは、やっぱり納得できないのだ。

結局、結婚届を出さずに子どもを産み、今日に至る。びっくりするほど何も起きなかった。

世の中の「女の子はこうあるべき」「男の子はこうあるべき」ということはおかしいと思う10代を過ごし、子どもを生む時や様々な時に選択を迫られた。
大袈裟に言えば、一人で世界に対峙している感じ。

わたしはどうしたいのか。わたしは、本当のところどうしたいのか。自分に問いながら、世界に対峙する。

LGBTQの人の話を聞くと、とりわけ子どもの時に、孤独で一人で世界に対峙している感じ。世の中の「男は男らしく」「女は女らしく」、異性愛が当然だという中で、どれだけ孤独だろう。

1988年国立大学の教授が、戸籍名を強制しないで欲しい、私立大学でずーっと使えていたいわゆる旧姓を使わせて欲しいという裁判を他の弁護士と一緒に担当をした。自分の名前を使えない。離婚をするしかないのか。
本人のアイデンティティを周りが理解せず、別のものを押しつける構図。

自分が生きたいものを生きられないないことがどれだけ苦痛で、地獄なのか。

だから性自認が大事、そこが基本と思うのだ。

1988年頃だろうか、パンドラの中野理恵さんに映画を見に来ませんかと言われ、新富町の会社に走って行った。転げ落ちそうな急傾斜の階段を上がり、ドキュメンタリー映画「ハーベイミルク」を見た。ゲイであるということだけで殺されるなんて。衝撃的だった。
東大の動くゲイとレズビアンの会(アカー)の人たちに学園祭に呼んでもらうようになった。

当時、レズビアンの女性二人に、結婚届をだせないことを裁判で提起できないかという相談を受けたことをよく覚えている。異性愛の人は、結婚届を出すことと出さないことの選択ができるけれども同性愛の人は、結婚届を出すという選択肢がそもそもない。結局、提訴することはしなかったが、同性婚を認めて欲しいという動きは本当にあったのである。
今、同性婚を求める裁判が提訴され、認めないことは憲法14条の法の下の平等に反し、違憲であるという判決が相次いでいる。本当に応援している。

是枝裕和監督の最新作「怪物」でも描かれているが、多くの人に見えないものがある、知らないことがある。「あなたが結婚するまでおかあさん、がんばるから」と小学生の息子に言う母。社会の規範、当たり前を生きられない子どもたち。知らず知らずに追い詰めているのかも。

怪物は社会かも。

一人ひとり違う。
異性愛で結婚し、子どもを生むのが当たり前。
いや、違う。
いろんな幸せがあるのだ。

冒頭に戻る。
わたしは自由である。
あなたは自由である。

自由に自分らしく生きていきたいと手探りで必死で生きようとすることを潰さないで。
法制度を変えるべきだし、社会も変わるべきだ。
生きづらいと言う声にまず耳を傾けるべきだ。

他の人の幸せが法制度で実現することは、他の人が幸せになることは、あなたの幸せを少なくすることではない。

選択肢を増やすこと、幸福追求権を拡大し保障することが必要である。

でもわたしは、自分らしく生きたいと言う思いにものすごく励まされているのである。
自分の原点の思いに立ち戻る感じである。
魂は自由。カラフルに、みんなでパワフルに。
他者の視線も値踏みも関係ない。自分がどうしたいのか。
知らないことを知ることを力に。生きづらさを変えることを多くの人と一緒にやっていきたい。
ともに生きるなかで未来を切り開いていきたいと思っている。

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