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わたしの父はハワイ生まれ | 福島みずほ公式サイト(社民党 参議院議員 比例区)

わたしの祖父母はアメリカに移民をした。父は6番目の子ども、いわゆる長男。ハワイで生まれた。小学生の時に戸籍を見て、父のところにハワイ州生まれと書いてあるのをとても不思議な気持ちで見ていたことを覚えている。父親とハワイが全く結びつかなかったのである。
祖父が、盲腸であったにもかかわらず、医療過誤で間違った処方がされたために苦しみながら亡くなったと言う話を聞いた。その時6番目の子どもである父は、祖母のお腹の中にいて、祖母は父を出産した後、船旅で日本に帰国をした。
だから父は全くハワイについては記憶がないのである。
私は、祖母と両親、姉の5人家族で暮らしていたので、家の中にはその長い長い船旅で使ったと言うトランクもあった。祖母はブロークンの英語をしゃべったりしていた。父の姉たちは、英語をしゃべれていたのだろうか。
祖母にもっとアメリカでの暮らし、帰国してからの話を聞いとけばよかったと思っている。

いとこにサンフランシスコに行ったら、「おじいちゃんの弟のところに電話をして」と電話番号を渡されたことがある。1991年頃だろうか、ホテルから電話をしたが、電話に出る人はいなかった。
祖父の弟は、第二次世界大戦中に日系アメリカ人の強制収容所に収容されていたといとこに聞いた。もし会うことができていたら、いろんな話が聞けていたのにと本当に残念に思う。
やはり91年のことだろうか、ワシントンDCでスミソニアン博物館の展示を見た、アメリカ憲法と日系アメリカ人の強制収容所と言う展示である。まさに、日系アメリカ人の強制収容所の問題が取り上げられていた。当時の新聞も展示されていた。日系アメリカ人がスパイをする可能性があるなどと書いてあり、1枚の紙切れで日系アメリカ人の人たちは長期間収容をされたのである。

アメリカでは、 1988年8月、ロナルド・レーガン大統領が事実を認め日系アメリカ人に謝罪し、現存者に2万ドルの損害賠償を行った。これが有名な「市民自由法」である。
市民自由法についてのテレビ番組を見たことがある。日系アメリカ人に対してだけだろうか夜間外出禁止令が出ている時に、日系アメリカ人のある弁護士が、それはおかしいと外出し、刑務所に入ることになり、服役したというのが印象に残っている。確かその時はカナダで弁護士をしているということだった。

スミソニアン博物館の展示にはたくさんの写真も展示してあった。
体格のいいアメリカ人が収容を命ずる書面を小柄な日系人に示している。それを食い入るように見つめる日系人。
カバン一つを持って行進し、収容所の門をくぐらされる。営んでいたお店の閉店のお知らせがお店に貼られていたりする。

このケースが端的に示しているように、そして、他の様々なケースが示しているように、戦争と差別排外主義は手を携えてやってくる。差別排外主義が煽られ、戦争に突入し、更に差別排外主義が煽られる。差別排外主義をなくしていくことは、戦争を避ける第一歩である。
戦争が起きるずっと前の段階で、実は戦争が準備をされていると考えることがある。

差別排外主義をなくしていくこと、基本的人権がすべての人にあるようなそんな社会をとにかく全力でたくさんの人と作っていくこと、そのことをしっかりやっていきたいと思っている。

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