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久子さん | 福島みずほ公式サイト(社民党 参議院議員 比例区)
連れ合いの海渡雄一のお母さん、海渡久子さんが(2月)8日早朝亡くなりました。
96歳です。
海渡のお姉さんやヘルパーさんの助けを借りながら、デイサービスに通い、お買い物はヘルパーさんにしてもらい、一人暮らしをしていました。
食事も作っていたと聞いています。
しかし、12月に圧迫骨折をしてしまい、入院をしていました。
私が司法試験の受験中に本当に励ましてくれました。
「家事は息子にやらせてあなたは勉強に専念しなさいよ。」と言われました。
先に弁護士になった彼にやらせなさいという訳です。
また、こうも言われました。
「私の知り合いで画家の人がいるけれど若い時はすぐ芽が出ずに、しばらくして認められるようになったのよ。だから若い時にがんばって!」
すごく励まされました。
がんばろうと思いました。
おかげで弁護士で活動できるようになりました。
励まし続けてくれたことに心から感謝をしています。
夫婦別姓についても理解し、励ましてくれました。
結婚届を出さないで子どもを出産し、名前を変えないようにするということについても理解をし、励ましてくれたのです。
子どもが生まれる前、一緒に暮らし始める時でしょうか、私は、冗談紛れに、久子さんに「息子さんの連れ合いとしては、もう少しまともな人がよかったのではないですか」と言った。
そしたら彼女は「息子が選んだ人ですから」と答えてくれた。
海渡の両親がリベラルで、理解し、励ましてくれたことに本当に感謝をしています。
夫婦別姓・事実婚について何か言われたことはありません。
政治活動も応援をしてくれていて、兵庫県の駅頭で、街頭演説をする時に、街頭に来てくれたりしました。
久子さん、みずほさんと呼び合って、私は、年長の経験があるお友だちの意見を聞いたり、話をするのが楽しいという感じで会うのを楽しみにしていました。
私の娘も祖母である久子さんのことが大好きで、泊まりに行ったり、連絡をしょっちゅう取り合っていました。
亡くなる直前まで、久子さん、海渡、私、娘の4人でLINEをしあっていました。
好奇心旺盛で、本や新聞をよく読み、自分の意見を持ち、はっきり自分の意見を言う人で、そんなところが好きでした。
最後まで、しっかりしていました。
海渡のお姉さんやヘルパーさんなどの大変なサポートがあってこそですが、一人暮らしを最後まで見事にやっていらっしゃると思っていました。
長年見守って、励ましてくれていた長年の女友だち、友人が、旅立って、寂しいです。
海渡を産み、育て、私の娘、久子さんの孫の伴走もし、可愛がってくれたことにも感謝をしています。
ありがとうございました。