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2021年3月16日、予算委員会公聴会で原発集団訴訟、避難者、ミャンマー問題について質問 | 福島みずほ公式サイト(社民党 参議院議員 比例区)

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204-参-予算委員会公聴会-001号 2021年03月16日(未定稿)

○福島みずほ君 立憲・社民の福島みずほです。
今日は、お二人の公述人、本当にありがとうございます。
まず、除本公述人にお伺いをいたします。
今日のお話の中でもありましたが、各地で進む原発事故集団訴訟で、少なくとも中間指針で示された賠償では足りないと示されております。そのことから見直しを絶対にやるべきだと思いますが、いかがでしょうか。

○公述人(除本理史君) ありがとうございます。
原賠審の指針の性格というものは、賠償すべき損害の最低限の損害を示すガイドラインであるということです。ですので、そもそも例えばそこで漏れているような損害があれば賠償を上積みしていくというのは当初から前提されていて、原賠審もそのように指針の中に書いてあるということはまず一つでございます。
それを踏まえた上で、今、集団訴訟の状況を見ますと、指針を超える賠償が認められるようになってきているということはございます。
それも、例えば、個別具体的な事情を考慮してというような場合もございますが、昨年の九月のいわゆるなりわい訴訟という最大の原告を抱えている裁判の仙台高裁の判決なんかでも区域一律で、例えば避難指示解除準備区域におられた方はというような形で、個別事情というよりは区域ごとに賠償の上積みを認めているというような判決も出てきておりますので、これ、指針が今やっている区域ごとにその賠償の中身を決めていくというような考え方と全く同じ考え方になりますので、しかしながら、それでも、判決によれば、指針の額では十分ではないというような判決も出てきているということを考えますと、原賠審の指針の見直しというのは当然論理的には導き出されてくるんではないかなというふうに思っております。

○福島みずほ君 裁判の判決で、ふるさとの喪失というのを認めました。さっき公述人がこのことを、ふるさとの意味ということも語っていただいたわけですが、改めてこの裁判の評価をお願いいたします。

○公述人(除本理史君) ありがとうございます。
全国に広がっている集団訴訟は、いろんなタイプのものがありますけれども、基本的にはほとんどが賠償請求という形で組み立てられています。この方が法律上やりやすいからということでありまして、原告の方々の要求というのは、お金が欲しいということよりは、元の暮らしを取り戻したいということの一点に尽きるということです。ただ、今の裁判のやり方としてそういう請求をするのは難しいので、じゃ、どういう形で賠償請求をするかというふうに言ったときに、今の例えば復興政策やあるいは東京電力による直接請求と言われている賠償のやり方では軽視されているけれども、自分たちが非常に大事だと思っているもの、これに焦点を当てて賠償請求をしていこうということで俎上に上ってきたのがふるさとの賠償ということになるかと思います。
ふるさとの賠償というのは、これは別に個々人の所有物ではないじゃないかというふうに思われるかもしれませんが、これは二重の意味がありまして、確かにふるさとというのは誰のものでもないんですが、そこに暮らすことによって個々の住民が得ていた利益というのは当然あるわけで、それは法的に保護されるべきであろうと。それは例えば、先ほど申し上げたようなコミュニティーの中で暮らすことによって人々が日常生活を送っていけるというようなことですとか、逆に考えますと、避難先で家を買ったらそれで元の暮らしは取り戻せるのかといったら、そんなことはないですよというようなことはございますし、先ほどの豊かな自然の恵みといったようなことも非常に重要な意味を持っていたので、こうしたものをきちんと損害として評価してほしいということを訴えているというのが集団訴訟の一つの論点であります。
その他、国の責任のことですとか、除染がなされていない帰還困難区域の方々は除染をちゃんとしてほしいというようなことを求めていると、こういうような裁判もございます。

○福島みずほ君 福島県内に、そして全国に避難者の方がいらっしゃいます。私も、たくさんというか、お友達がいるわけですが、問題は、避難者、被災者の数が全くまちまちで正確な実態が把握されていないという問題です。
福島県内では、災害救助法の定義をそのまま利用していて、仮設住宅やみなし仮設住宅を退去し、家を購入、賃貸契約をした場合は、原発事故前の自宅に戻れていなくても避難者から外されると。福島県外では、復興庁が帰還の意思がある人は避難者と定めていると。福島県内と県外で避難者の定義が違っていると。
また、県と市でも全く違うと。福島県が原発事故の避難者数をめぐって三万六千人としているのに対して、県内の各自治体が避難者とする総数は少なくとも六万七千人超で、三万人以上の開きがあります。県と市と国で全く避難者の数がばらばらです。しかも、福島県外において、総務省が、この県外においてもまた更に問題があって、復興庁が避難の意思がある人と定めておりますが、その意思を確認しないまま福島県外において避難者から外している事例がたくさんあったと。
ですから、避難先の自治体において避難者が軽んじられているんじゃないかと当事者はおっしゃっているんですが、結局、自分たちが自動的に外されてしまっている、どんどん避難者がいなくなって数が少なくなっていっているという問題があり、まず実態把握をしない限り、どういう支援が必要かということも見えてこないと思いますが、この点についていかがでしょうか。

○公述人(除本理史君) ありがとうございます。いや、おっしゃるとおりだと思います。
例えば、被災者支援ということを言う場合に、じゃ、誰が支援対象なのかということがはっきりしないというのでは当然困りますので、じゃ、どういう状態の方がその支援対象なのかと、政策の対象なのかというのをきちんと本来は定義をして数字を把握していくべきだというふうに思いますが、今御指摘あったような、集計する主体によって定義が異なっているということによって、例えば、被災自治体、市町村と福島県が集計している県内避難者の数字に万単位の開きが出ているというようなことが生じています。
福島県の場合は、仮設住宅を出てしまえばもう避難の状態は終了するというふうに考えている、定義をしていますけれども、私が当事者の方々からお話を伺いますと、あるいは各種のアンケート調査なんかでも出ているんですが、例えば、復興公営住宅に入居した方でも半数ぐらいの方は避難を続けているという認識を持っておられるとかというようなことがあるわけですね。
先ほど申し上げましたように、家を買って定住すればそれで元の生活が回復するというわけでもないと、こういう状況がありますので、特にその周囲とのつながりがなければ孤立してしまうというようなこともありますので、そうしたその状況をきめ細かに実は実態把握をしていくという課題がいまだに残されていると。特に、十年たって御家族との関係がだんだん希薄になって孤立化していくというケースも見られますので、こうした状況は更にきちんと把握をしていく必要があるんじゃないかなというふうに思っております。

○福島みずほ君 あと、区域避難、いわゆる自主避難、区域外避難、いわゆる自主避難の人たちの住宅手当が打ち切られてしまいました。その後、どうしようもなくて、東京の東雲住宅に残っている人たちが立ち退かないというので、福島県が家族や親族に連絡をして立ち退かせようとしています。このコロナ禍で県外避難をした人は、派遣や契約社員のため仕事が減らされたり、切られたりしています。二重被災になっている人たちへの救済策など、本当に今必要だと思いますが、いかがでしょうか。

○公述人(除本理史君) ありがとうございます。
私、新潟県で原発事故検証活動というのの生活分科会というのに参加をしております。そこで実施したアンケートでも、やはり避難前と避難後と比べますと、正規雇用の方の数が減っておりますし、雇用が非常に不安定になっていて、生活も厳しく、経済的に厳しくなっているという状況は見て取れます。
そうした中で、今コロナの影響で、今御指摘があったような、特に非正規の方中心に経済的なインパクトが大きいというのは当然ありますので、ここも実はきちんとした実情把握がなされていないところだと思いますので、まずは実態を把握するというところから始めていくというのが大事なのではないかなと思います。支援施策も当然必要になってくるだろうと思います。

○福島みずほ君 除本公述人にお聞きをします。
原発事故の損害とは何か、損害賠償論が御専門でいらっしゃるので。でも、海に汚染水を流したり、これから汚染土を農地として使う、もう拡大していく、どこまで何が損害なのか。私自身は、原発はもう高く付くし、決して安い電力ではないし、手に負えないというふうに思っているんです。損害賠償論の観点からいって、事故を起こしても事故を起こさなくてもすさまじい損害が発生する、こういうことを損害賠償論の観点からいうと、どうお考えでしょうか。

○公述人(除本理史君) ありがとうございます。
学術上の通常の定義ということでいえば、もう福島先生に申し上げるようなことはないんですけれども、事故と相当因果関係があるものというくくり方を一般にはされてしまい、じゃ、その相当因果関係とは何ぞやということが当然争いにもなってくるということでありますけれども。私は法律というよりはむしろ環境経済学という観点から見ておりますので、そういたしますと、基本的にはその事実的な因果関係といいますか、事故によって引き起こされたネガティブなインパクト全てを被害というふうに見ていくべきではないかというふうに思っています。それが、その賠償として対処すべきものなのか、あるいは政策上の課題になるのか、例えば復興政策の中で対処すべきものなのかと、これは切り分けが当然存在するだろうとは思っております。
特に、私たち環境経済学の観点からいいますと、絶対的損失という概念があります。これは、もう取り返しが付かない被害ということですね。お金でも償えないし、代わりのものを持ってくることもできない。これはもう典型的なものは健康被害、公害の健康被害のようなものでありますが、そうした取り返しが付かない被害、これは、例えば山の被害が百五十年続くといったような場合に、これは回復可能と言えるのかというような時間スパンとの関係もありますけれども。
こうしたその取り返しが付かない被害というのは基本的には引き起こしてはならないだろうということで、これに対して、例えばその原子力を利用していくという場合には細心の注意を払って予防的に予防原則にのっとって対処しなければならないということも論理的には流れとして出てくるということだろうと思います。

○福島みずほ君 大庭公述人にお聞きをいたします。
コロナによって強化されたASEAN諸国の権威主義体制というのは非常に興味深かったです。今、ミャンマーにおいて軍部が非常に弾圧をしているわけですが、このミャンマー問題、どのように考え、どのように解決したらいいか、是非御教示をくださいませ。

○公述人(大庭三枝君) 時間も迫っていると思いますので、手短に。
質問ありがとうございます。
ミャンマーについては、正直なところ、日本が打つ手というのが非常に限られているという印象を持っております。一般的には、日本は軍部とそれから民主化勢力と両方にパイプがあるということだったと思いますが、どうもそれが見えてこないというのが政府の外から見ている私の印象でありまして、とはいっても、ミャンマーの事態というのは日本にとっても日本を含む地域全体にとっても非常に憂慮すべき事態ですから、限られているとは思いますけれども、日本としては今までよりはもっと強くミャンマーの現状というか民主化勢力の復帰、選挙の尊重ということを強く主張するべきだろうというふうに考えております。
以上です。

○福島みずほ君 ありがとうございました。
ありがとうございます。

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