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なーんだ、やればできる | 福島みずほ公式サイト(社民党 参議院議員 比例区)

なーんだ、やればできる。

最近の変化は、パッパッパと作れる美味しい食べたい料理に挑戦して、美味しいご飯を楽しんでいるということである。
趣味、料理。

遅いよという声も聞こえてきそうだが。確かに夫には遅いよと言われたが。
そうね、でも何事も遅いということはないのでは。

転機は去年。2022年2月にコロナに罹った。極めて軽症で、自宅療養だったが、これが実に辛かった。夫は入院を余儀なくされ、私は1人で家で療養。外出もできない。
体力が衰えると(なんせウイルスと闘っている)気力が衰え、気力が衰えると体力が衰える。どんどん落ち込むのがわかる。

何と食欲がなくなった!食事を作るのがおっくうで、食生活が貧困になる。ウーム。

私は未来の老後の先行体験をしているような気になった。体力と気力が衰え、外出がままならず、交流がなく、食事が貧困になる。社会と隔絶をした感じ。

ヤバい。イカン。生きる力が実はとても弱いのではないか。
私の老後がそうなったら困るなあ。

私は料理が得意ではない。そうずっーと思ってきた。
料理は食べることができたらいい。魚や肉を焼くか、シチューやカレーや豚汁のように煮込めば何とかなる料理。忙しくて作る機会も減るので、あまり作らない。パターン化する。
料理が得意で、パッパッパと美味しいものを作るのが得意な夫の料理を食べる。「やっぱり、聡明な男は料理がうまいなあ」と。

となるとますます料理が上手くならない。

子どもと一緒に暮らしているときは作っていたけれど、子どもが巣立った後は、いい加減。
これが病気になるとてきめんだめだなあと痛感。

様々な食材を使ってパッパッパと美味しいものが作れなきゃ。
身近な食材とあまり使わない食材、それぞれ体に良い食材を使って簡単、美味しい料理を作る。

大変と思っていたが、、インターネットで検索すると、すぐ教えてくれる。簡単な料理が実にたくさんある。当たり前のこともちゃんと解説してくれる。

なーんだ、受験勉強ではないけれど、やればできる。
国会質問に使う1%の情熱と思いと根性で楽しい料理ができるではないか。

お客様に出すような料理はできないけれど、楽しみで、簡単、おいしい、体に良い料理を作ろう。
自分が食べたい物を作ろう。
外で食べるしかないと、諦めていた料理に挑戦してみよう。
外でしか食べられないと思っていたものを作って美味しく食べるのは楽しい。フォーなど作れるかな。

いろんな食材を使っておいしい餃子を作ってみた。
チヂミを作ってみた。外はかりっと、中はもっちりというのはなかなか難しいけれど自宅でチヂミが食べられるのは嬉しいな。
ニラを入れて、ニラチヂミ、タコも入れれば、海鮮ニラチヂミ。

生春巻きに挑戦してみた。これがうまくまけないのである。きゅうりやにんじんが多すぎるのか、生春巻きの皮を突き破ってしまう。2度ほど挑戦したが、生春巻きの具とくちゃくちゃになった生春巻きの皮を仕方がないから一緒に食べた。

ごぼうを小さく切って、味噌汁にしたり、レンコンを使った料理に挑戦をしたりする。筑前煮だけではなく、レンコンは美味しい。

ニラは、餃子に入れたり、ニラ玉にしたり、野菜炒めにしたり、味噌汁に入れたり、ニラチヂミになったりする。いろんな食材を縦横無尽に使うと実に楽しい。

こんなこと多分10代や20代の時からやっている人が山のようにいるのに、私は今目覚めてさりげない料理をさりげなく作って楽しんでいる。

新聞の折り込みなどに、宅配弁当などがしょっちゅう入っている。多分一人暮らしなどで料理を作るのが大変だったり、面倒だったり、逆に不経済だったりするので、宅配弁当を頼むのであろう。それも1つの考え方で、私もおいしい宅配弁当だったら頼むかもしれない。

でも、本当は自分が本当に食べたいものを食べたいように料理して美味しく食べるのがベストだろう。自分の食べたいものを食べられる幸せを享受していたい。

おままごとのような世界を楽しんでいる。実は私にとって新しい世界である。

なんて書いてきたが、忙しくて毎日作っているわけではない。
私はとてつもなく食いしん坊なので、食べたいものを本当に食べると言うことが嬉しくてたまらないのである。

まな板の上で野菜を切ったりしていると、母親の「おいしいちゃんぽん作るわね」といった声が聞こえてくる。料理を作っていると母親に会うようなそんな思いがする。
料理は、記憶と思いにつながっている。多分とてつもない愛情とも。

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